日本建築家協会 第3代沖縄支部長 挨拶

日本建築家協会 第3代沖縄支部長 国場 幸房  

度重なる酒の席で次期支部長を引き受けることになった。それは私の最も不得意とする分野の仕事である。自社でもこれに類する仕事を我がまゝを言って避けてもらってきている。今回は、その不得意とする分野を会員の皆様に協力してもらうことを約束してもらった。  

建築設計の仕事に携わって40年の間、JIAの存在を意識してきたが、その存在価値が思うように社会に認知されずに、試行錯誤を繰り返してきたような気がする。思うに職能の世界はそれだけに専任しておけばおのずと社会に認めてもらいたいものだが、残念である。建築家なる職能の世界は欧米に比べても日本では、社会でのステータスがまだまだ低いと言われている。  

幸い今JIA本部で変革の動きがある。わが沖縄支部もこれまで、又吉・山城支部長のもとに皆の力ですばらしい支部の基盤が出来てきている。これからは、全会員で今後の沖縄らしいJIAの在り方を議論していただけたら幸いである。  

私事になりますが、多人数の会議では一言も発せず終わることが常であるが、少人数の酒の入った席では長い時間建築等の議論をすることは多々ある。  

幸い沖縄支部の会員の人数だと個々にその様な時間がとれそうである。とくに若い人達に期待したい。これまでの私の建築設計の仕事は酒のなかで発想してきたものだからである。  

JIA大会2002沖縄では、会員、賛助会員そして本部を含む多くの方々の協力で好評のもとに終わった。あの時の情熱をいま一度これからの支部の在り方、皆が羨むような独特のJIA沖縄支部造りに燃やすことが出来ないだろうか。それには会員の全員が支部長であってほしい。

 

挨拶2

日本建築家協会 第3代沖縄支部長 国場 幸房  

我々建築の設計に携わる者は、この仕事が好きで働いている人達です。そして時に寝食を忘れることもあります。それは義務と責任を考えますと、当然ですし、社会人としての責務だと思うからです。

 この頃はその好きな仕事も、なかなかさせていただけない社会情況が永く続いています。つい、あのバブルの時の、多すぎた仕事を、少し残しておけばよかったのに、と思ったりもします。そして日頃、これからの沖縄経済はどうなるのかと気にしていますと、つい専門以外の本、それは私の一番不得意とする、ある経済の本を読ませてもらいました。

 その本の著者は社会システムデザイナーの肩書きのある横山禎徳という方です。その本には(新しい日本経済をどうつくるか)とした内容が書かれていました。本の題名は(豊かなる衰退と、日本の戦略)。専門外の本ですのでどれだけ理解できたか疑問ですが、その中に(中国の経済発展は、日本の幸運)と書かれた項目ありまして、そこに(日本の・豊かなる衰退・にとって、隣に巨大で、これから急速な経済発展をとげる中国が存在することは、思いがけない僥倖である。日本は大変運がいい。その強運をどう生かすかという発想に、転換すべきである)と書かれていました。

 琉球大學の経済学の教授である、真栄城守定氏の話によりますと、(沖縄の経済は、困ったとき、これまで(神風)が吹いていた)と説明されています。
 其のことを思うと、この中国の経済発展、その中でも世界最大の経済都市である上海が、日本の中で、最も近い、この沖縄に、その経済の(神風)を、吹かしてくれないかと期待したくなります。上海の或る役所の人の話によりますと、これから数年で、5,6千万人の人々が上海で活動することになるでしょう、と言っていました。現在、一日に超高層ビルが1棟以上できあがる勢いです。全てのめんにおいて沖縄と数が二桁、異なるように思えました。その大きさを考えますと、上海での、わずかな風でも、沖縄にとっては大きな風になります。そして、それは持続する(風)であってもらいたいと思います。そして、沖縄の多くの方々に発想の転換を期待したくなります。

 沖縄には、上海に無い、素晴らしい、珊瑚礁、白い砂浜の、美しい海もあります。  上海が沖縄から近いことを、肌で感じたいと思いまして、一昨年に続いて昨年の暮れに、JIA関係の18名のメンバーで、上海へ3泊4日の旅行をさせてもらいました。  その旅行の一番の目的は、世界最大の経済都市上海が、いかに沖縄から近いかを、より多くの人が、身体で感じることでした。
 その旅行で、少し残念でもあり、うらやましかったことは、その上海行の飛行機の中の満員の客は、我々以外、殆ど台湾からトランジットによる台湾の人達でした。  彼らは、既に、この時の流に、乗っているように思えたからです。

 JIA沖縄支部も時の流れにうまく乗りながら、夢のある活気のある支部に会員一人一人の強力の程、節にお願い申し上げます。